
140年の家族の記憶を残す


香取市加藤洲は、かつて江戸との水運の拠点として栄えました。この地では、水路が生活の道となり、人や物資が行き交う豊かな交流文化が育まれてきました 。十二橋が架かる加藤洲の一角は、まさにその歴史のなごりを留める場所です 。
「塙HOUSE」は、そんな加藤洲で明治二十二年頃に誕生しました。やがて政府指定米問屋の看板を掲げ、地域の交流を支えてきました 。
百四十年の時を刻む家屋は、かつて常陸利根川(北利根川)の拡幅に際し、「曳屋(ひきや)」によって現在の場所へと移築されました。水辺と共に歩んできた土地の記憶が、今も大切に語り継がれています。
塙HOUSEは、そんな水郷らしい物語に思いを馳せながら、共に時を刻んでみたくなるような古民家です。明治から続く土間や掘りごたつの温もり。
そして目の前に広がる田園の風を感じながら、水運が結んできたこの土地の縁(えにし)に触れる滞在を。
この家が静かに温かく包み込みます。
水運と交流が息づく香取・加藤洲
History of Hanawa-House
塙 HOUSEの成り立ち
歴史のはじまり
塙HOUSEは、明治22(1889)年頃、曽祖父の代に建てられました。利根川の清らかな水の恵みを受けながら農家を営みました。 かつてこの地は「鹿島海」とも呼ばれた海の入り江として、川と海の幸に恵まれました。網の目のように巡る水路は人や物資を運ぶ「水運の要所」として、独自の交流文化を育んできた歴史があります。今もなお、十二橋や水路の佇まいに当時の暮らしの面影を残しています。

かつては耕作を支える牛もサッパ舟に揺られ、共に田んぼへと向かいました。江戸へと続く広大な水運網を築いたのは、徳川家康らによる大規模な治水工事がそのはじまり。以来、この水郷の日常は、旅路に彩りを添える風景として愛されてきました。


140年の営みの記憶
この家の約140年の歩みは、この地域の物流を支えてきた米問屋としての歴史と共にありました。祖父の代から政府指定の米問屋として営んでいたそうです。
利根川流域のお米は、水郷地域を象徴する農産物であり、塙HOUSE(旧塙商店)はその集散地として、米農家や地域の人が訪れ、お茶をすすりながら団欒するような交流の拠点でもありました 。
そうしたここでの営みの記憶を残すように、現在も当時の米蔵や、土間などの内装まで"元を大事に"再生しており、交流イベントも積極的に行っています。

かつて人々が集った土間や掘りごたつを当時のままに残しました。かつての人々と同じように、お茶やお酒を酌み交わしながら、ゆったりと団らんいただけます。家主お気に入りのスポットです。
受け継がれる家族の時間
明治時代から紡いでいたこの家は、2017年に家主の大叔母と叔父が相次いで他界したことで空き家となり、一時は取り壊しの話が持ち上がります。
しかし、現家主の心に残っていたのは、幼い頃にひいおばあちゃんから聞かされた「ここは加藤洲の一等地なんだ!」という言葉でした。その記憶と、自身がこの地を愛する思いが重なり、「この場所を受け継ぎ、残す」と決断。それが、塙HOUSE再生への大きな一歩となりました。

かつて物流の拠点として栄え、地域の農業を支えた証である「塙商店」の什器や暖簾。取り壊しの危機を乗り越え、大切に磨き上げられたこれらの家財は、今も玄関先で、一族の誇りと商いの記憶を静かに伝えています。


家族の誇りを未来へ繋ぐ
現家主にとって、ここは大切な思い出が詰まった場所。脈々と続いてきた水郷の営みを次世代へつなぐべく、この家を受け継ぎました。 土地の空気感をありのままに、そして日々の暮らしの延長を感じられるように再生されたこの古民家は、地元の方々のご協力のもと、2018年に「塙HOUSE」として再び時を刻み始めました。

かつての広い米蔵は、地域のイベントスペースや子供たちの学びの場へと姿を変えました。単なる宿泊の場に留まらず、歴史を見つめ直し、現代に根付く文化を育む拠点として、地域の活気の一助となれれば幸いです。
Leaflet
パンフレット
































